【猫とのお別れ】ペットロスや愛猫を失った悲しみをどう乗り越えた?体験談

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私が先代猫を看取ったのは2009年の秋のこと。

まだ私自身若くて遊びたい盛りに飼い始め、17年の歳月を共にした猫を、30代で看取りました。

仕事が変わっても、家が変わっても、付き合う人が変わっても、ずっと猫だけは一緒。

そんな存在を失った時の想いは、今でも鮮明に覚えています。

猫は慢性腎不全で亡くなりました。
老衰と言ってもいいと思います。

当時の私は自分の人生に自暴自棄になりかけていて、この猫の存在だけが唯一、私が人間らしい生活を送る意味でした。

そんな猫を亡くした時に感じたこと、ペットロスについてをまとめます。

猫を亡くし『ペットを失うのは悲しいから、もう飼いたくない』とは思いませんでした

まず最初にお話しすると、17年弱連れ添った猫を亡くして『こんなに悲しい思いをするならもう飼いたくない』という気持ちにはなりませんでした。

悲しかったけれど、楽しい思い出が沢山あったからです。

「もう猫を飼いたくない」そう思ってしまうと、亡くなった猫ががっかりするんじゃないかなっていう気持ちもありました。

私の中で、先代猫の死は、私自身の考えを確かなものにする出来事でした。

中には私のこの考え方を批判的に捉える方もいるかも知れませんが…

『また君のように、家族を探している子をちゃんと迎えるからね』という気持ちになりました。

私がもし、悲しみに暮れるだけで過ごしたら、そこには何も生まれません。

でも、私が1匹また引き取れば、1匹の猫が間違いなく冬は暖かく夏は涼しい部屋で、食事の心配をせずに安心して生きることが出来ます。

使命とまでは思いませんが、私が先代猫に恩返し出来るとすれば、家族のいない猫を引き取る事なのではないか、そう感じました。

先代猫が亡くなる前、延命を選んだ私が今思う事

当時の私は、長年連れ添った愛猫を延命をしようと必死でした。

1日でも長く一緒に暮らしたい。
数時間でも長く生きていて欲しい。

食べられなくなった猫に、高カロリー栄養食の流動食を与えていました。

掛かりつけの獣医師にお願いして、自宅で皮下輸液出来るようにしました。

他にもありとあらゆる事をしたんです。

でも今思うのは、「そこまでしてあの子は幸せだったのかな」という、一種の後悔。

何もせずにいたら、もう少し早くに亡くなっていたかも知れません。

私にとってそれは辛いことですが、延命させると言う事はつまり、猫にとっては苦しみながら生きているという事。

高カロリー流動食を与える時、猫は嫌がっていました。

でも私は嫌がる猫に泣きながら高カロリー流動食を与えました。

猫にとってそれが、どう映っていたのだろう…と思う事があります。

どんな形でもお別れには後悔がつきもの

仮に、私が一切の延命を行わなかったとしたら、私は『なぜあの時、自分に出来る最大限の事をしてあげなかったのか』とずっと後悔するでしょう。

でも実際にあの時、自分に出来る事を最大限にしたはずなのに、『無理に生かしてしまったのではないか』という気持ちも持っているのです。

命の終わりに立ち会う残される者にとって、絶対に後悔をしないお別れというのは、ないんじゃないかなというのが私の結論です。

私は運よく最期の瞬間に立ち会えましたが、もしかしたら立ち会えなかった可能性だってあります。

でも人間は生きて行かなくてはなりません。

お金を稼ぐために仕事をしなくてはならないし、食事だってとらなくてはならない。

今の私は子どもがいますので、もしも今猫を看取るとしたら、子どものために外出する事もあるし、猫にずっと付きっ切りという訳にはいかないでしょう。

その時、その時のライフステージに応じて、できること・できないことがありますよね。

自分が今、出来る精一杯の事をしてあげる事でしか、この『後悔』を埋めることは出来ません。

後悔をしないために私が選んだ道は

私は当時、今の夫と知り合う前でしたし子どももいませんでした。

色々あって子どもを持たない人生を1度、想定した私にとって、先代猫は我が子のような存在だったのです。

でも私は若く無計画で、老齢の猫に十分な治療をしてあげられるような貯金も経済力もありませんでした。

そのため、したくもない仕事を選びました。
日中、いつでも病院に行けるように、いくらでも治療費を支払えるように。

そのおかげで私は自分が十分納得できるだけの治療が出来ましたが、10年経った今もふと『それは猫が望んでいた事ではないのではないか』という想いが湧きおこります。

ですから出来る限り健全に、そして余裕をもって、猫の治療費の対策だけはしておくべきだと、私は断言します。

人は、何か行動を起こした事で産まれた後悔よりも、何も行動を起こさなかった事で産まれた後悔の方が、より深くより長く引きずります。

例えば猫を看取るにあたり「十分な治療をしてあげたい」と考えているのに、金銭的な問題でそれをしてあげられなかった場合、心に大きな穴が開いてしまうでしょう。

私がペットロスにならなかったのは、もしかしたら『治療に関しては十分にしてあげられることをした』という想いがあるからかも知れません。

猫が亡くなって2ヶ月過ぎた頃に私が書きとめていた気持ちはこんな感じでした

私は先代猫が亡くなったら、そのまままた保護猫を引き受けようと決めていました。

ですので先代猫が亡くなって2ヶ月経った頃には、既に保護施設から身寄りのない猫を引き取っていました。

そんな私が当時のブログに書いたものを、少し修正を加えていますが掲載します。

先代猫がいなくて寂しいです。
それはこの子が来たから紛れるとか、
そういう類の感情ではありません。

この子に対する愛情の器と、
先代猫に対する愛情の器は、
全く別に存在するからです。

先代猫を亡くして、
何もかも、やる気が起きなくなる。
それも違う気がします。

先代猫を亡くして、
自分の価値も見失う。

それも違う気がします。

だけど毎日、先代猫を思い出しては、
涙が出てしまう事があります。

先代猫は、生き返りません。
どんなに似た子が居たとしても、
それは、先代猫ではありません。
先代猫は、この世の中で、たった一つだけの、存在だからです。

先代猫に会いたくて仕方がありません。
だけど、後を追いたいとは思いません。

先代猫と過ごした17年は、
悲しみや寂しさや、別れの苦しさをはるかに上回るほどに、
素晴らしく幸せなものだったからです。

私はペットロスを否定も肯定もしません。

でも私は自分がペットロスだと思いたくないんです。

そういうたった一言で、
先代猫との17年を締めくくりたくないんです。

私の中に強くあったのは、あんなに楽しかった毎日を「悲しいもの」に変えたくないという想い。

先代猫は、慢性腎不全という、猫の世界では老衰のような病気で亡くなりました。

ある人がこう言いました。

「それだけ長生きしたのだから、お別れはお祝いだね」

お別れが悲しいから保護猫を引き取るのが怖い。
自分に、別れが耐えられるかどうなのかわからない。

そう思っている方がいたら、こういうお別れもあるんだと知っていただければ幸いです。

こはく

こはく

天然木の家具とグリーンと美味しい物が大好き。家でのんびりと過ごしたい主婦。そんなにお金を掛けずに満足度の高いものを探すのが趣味。ガサツなので盛り付けが下手なのが悩み。夫と息子と猫3匹と暮らしています。

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