ここでは私が実際に経験した、猫の最期についてまとめます。
私が先代猫を看取った時、その瞬間がいつ来るのだろう、それまでに少しでも多く抱きしめておきたい、少しでも多く見ていたい、少しでも愛情を伝えておきたいと考えていました。

その瞬間がいつ訪れるか、全く予測も付かず、常に緊張して過ごしていたように思います。
そこで私の体験が『こんな事が起きたらお別れの時が近づいているかもしれない』という参考になればいいなと思い、記事にしました。
猫ちゃんそれぞれ、お別れの形があるとは思いますが、1つの例としてお読みいただけますと幸いです。
目次
先代猫が腎不全で亡くなるまでの状況
先代猫は腎不全で亡くなりました。
猫の腎不全は、長生きをしていれば避けては通れないものですよね。
当時は市販のキャットフードに15歳以上用や20歳以上用といったものはなく、せいぜい8歳以上や10歳以上でした。
それほど、猫がこの数年で長生きできる環境になったのです。
もう10年ほど前な事と、私の人生がこの数年で大きく変わった事で少し記憶が曖昧なのですが、当時の事を振り返りたいと思います。
2007年ころから巨大結腸症になった先代猫
スマホがまだなく、自宅のパソコンでしか情報を探す事が出来ない時代に、先代猫は巨大結腸症と診断されました。
猫が14歳頃のことです。
今思えば、巨大結腸症になる前に防げたのではないかと思います。

先代猫の場合、巨大結腸症と診断される数年前から便秘が進行していました。
ラキソベロンを処方されて飲ませていたため、便が全て出きっていると思い込んでいた事。
運悪く硬い便がいつまでも腸に残り柔らかい便がその横を通って出てきて、一見「便秘が改善された」ように見えていた事。
こんな事が重なって、先代猫の腸は伸び切り、巨大結腸症になったのです。
巨大結腸症になると便を出したくても出せず気持ち悪くなり、猫は嘔吐します。
嘔吐をすると身体の水分が奪われます。
老齢猫の身体の水分が奪われれば腎臓に負担が掛かります。
こういった事も、先代猫の慢性腎不全の進行を早めた原因なのではないかと、今更ながらに思うのです。
慢性腎不全が進行し、通院での皮下輸液から自宅での皮下輸液に切り替え
最初は病院で皮下輸液をしていましたが、私から掛かりつけの獣医師に相談をして、自宅で皮下輸液をするようになりました。
自宅での皮下輸液が可能かどうかは獣医師の判断によります。かかりつけ医としっかり相談をして下さいね。
何度か動物病院で練習をさせてもらいました。
猫は皮下輸液をすると少し体調が良くなる事を学習すると、暴れたりしなくなります。
自宅で日常的に皮下輸液を行い、定期的に動物病院で尿の排泄が出来ているかなどを見てもらっていました。
猫にとっても、飼い主である私にとっても通院ストレスは最小限で済みました。
猫が亡くなる前に実際に起こった猫の変化
ここからは、私が経験した猫の最期をまとめていきます。
亡くなる描写などが苦手な方はこから読み進めない事をおすすめします。
数値が急激に悪化したのは亡くなる3ヶ月前
数年ほど前から慢性腎不全の予防はしてきましたが、腎臓の数値が急激に悪化したのは、亡くなる3ヶ月ほど前だったと記憶しています。
それでもその3ヶ月前はまだ、猫が亡くなる事を直接的に覚悟はしていませんでした。
とにかく、後悔のないように出来る事をしてあげること。
少しでも良くなる可能性がある事をしてあげたい。
そのために、お金もたくさん稼がなくてはならない。
病院へも、すぐに行けるようにしておかないと…
そんな風に考えていました。
亡くなる10日ほど前に、突然後ろ足が砕けたようにバタンと倒れる
本当にある日突然でした。
元気なのに、後ろ足が砕けたようにバタンと倒れたのです。
「えっ?!」と驚きましたが、少ししてまた立ち上がり普通に歩きだしました。
この頃はまだ食欲もありましたし、本当に何の兆候もなく倒れたので、本当にびっくりしたのを覚えています。
と同時に、また普通に歩き出してくれてちょっとホッとしました。
亡くなる1週間ほど前から自分で食事を摂らなくなる
バタンと倒れてから1週間、いよいよ自分で食事を摂らなくなりました。
先代猫が好きだった缶やパウチを色々用意し、いつもよりいいご飯を買ったりもしましたが、食べてくれません。
私は、先代猫が自分からお水を飲もうとしている間は、高カロリー流動食を強制給餌しようと決めていたので、シリンジやスポイトで、リーナルケアやキドナを与えていました。
それが正しいかどうかわかりませんでしたが、この時は『1日でも長く生きて欲しい』という気持ちでいたのです。
亡くなる5日ほど前から歩くのもおぼつかずフラフラに
強制給餌をしても、必要なカロリーのすべてを補えるわけでもなく、とうとうなくなる5日前から歩くのもおぼつかない状況になりました。
身体はやせ細り…鳴く事もなくなりました。
寝床に横たわり、水を飲む時だけ、餌場によろよろと移動します。
水を飲みたくても今までのように飲めないようでした。
水を飲んでいる間にフラっと倒れてしまうこともありました。
低体温?よろよろと歩きながら何度も風呂場に向かう
その頃は1日のほとんどを寝床で過ごしていました。
でもある日、気付くと先代猫の姿が寝床にありません。
びっくりして家じゅうを探しました。
歩くのもおぼつかない状態なのに、一体どこへいったのだろう…?
思い当たる場所を探しても姿が見えず、『まさかいるわけがないけど念のため』と思って最後に確認をした浴室に、先代猫の姿がありました。
11月の冷たい浴室の床で寝ていたのです。
先代猫は日ごろから浴室が好きだったとか、浴室で時々寝ていたとか、そういう事は全くありませんでした。

温かい寝床に何度連れ帰っても、フラフラの足取りで浴室に戻って行ってしまうのです。
最初、私はなぜそんな行動をするのかわからず困惑しました。
でも、低体温によるものではないかと思い至りました。
熱が出ると寒く感じるのと逆、体温が低いから暖かい部屋が暑く感じるのではないかと思ったんです。
亡くなる数日前から水も飲まなくなる
先代猫は自宅で皮下輸液をしていましたが、定期的に掛かりつけの動物病院で「低体温になっていないか、尿が排泄されているか、点滴量は適切か」などを見てもらっていたため、久し振りに病院へ。
確かこれが亡くなる3日前で、お世話になった先生方とお別れをした日でした。
この頃になると、もう水も飲まなくなりました。
寝たきりになり、時々気持ち悪そうにえずく
今まで、1日に何度か水を飲みに餌場に行っていた先代猫も、もう寝たきりになりました。
愛猫の最期の時
その日私は、日中、先代猫と昼寝をしました。
暖かな日でしたので、窓を開けて穏やかな風を感じながら。
鳥の羽の音に、少し首を動かした先代猫。
腕枕をして、とっても穏やかな時間を過ごしました。
当時一緒に暮らしていた彼に先代猫を任せ、夜、仕事に出掛けました。
仕事中、メールがない事を祈るばかり。
仕事を終えて急いで帰宅しました。
0時頃に帰宅すると先代猫は布団から顔だけ出している状態でした。
帰宅早々、彼が心配そうに「目が、いつもと違う」と言ったのです。
『瞳孔が開いている?まさかもう息を引き取ったの?!』そう思った私は慌てて先代猫を確認しましたが、息はしていて心臓も動いています。でも瞳孔は開いたまま。
あぁ、いよいよなんだな…と思いました。
先代猫は時々、吐きたそうにえずきます。
でも出すものが何もない。
猫は割と吐きやすい動物ですが、健康な時の吐き方と違い、舌が力なく全て出てしまうような感じでした。
えずきはずっと継続してはいず、少しすると落ち着きました。
私は先代猫の隣にいたのですが、私が少し動いたり、小さな物音…それこそコップを置く音などがするだけで、フーッ!!と威嚇するようになったのです。
そして4時20分頃。
しばらくえずく事がなかった先代猫が、再びえずきました。
今までとは違い、手を突っ張っていました。
あぁ、いよいよこの時が来たのだ、私はそう感じました。
舌を出して少しだけ嘔吐した先代猫は苦しそうに少し鳴き、身体から全ての力が抜けました。この間ほんの10秒程度だったと思います。そして息を引き取ったのです。
猫を看取って
先代猫の最期は、私が思うよりも穏やかな物でした。
腎不全で亡くなる猫は、非常に苦しむとか悶絶して亡くなるという噂がありましたが、表情は眠っているようでした。
本当に眠っているようで…
私は悲しさよりも『もうこれで、苦しい思いはしなくて済むね』と思ったのです。
約17年、一緒に過ごした先代猫。
こうして、お別れしました。
猫の腎不全の看取り体験談「苦しむ最期」ばかりではない、亡くなるまでの経緯 さいごに
世の中、過激な出来事の方が取りざたされるので、もしかしたらここを読んでいるあなたも、慢性腎不全で亡くなる猫は苦しんで息を引き取る、というような話に心傷めていたのではありませんか?
確かに、苦しんで亡くなる猫ちゃんもいるでしょう。
でも私が看取った猫のように、比較的穏やかな最後もあります。
この記事が、あなたのお役に立ちますように。